手話漬けの一ヶ月
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2009/04/01(Wed)
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このヒト月、かなり頑張って、手話の勉強をしてみた・・といっても、何がどう上達したわけではないけれど、週一回の習い事としたら、三ヶ月分はやったと思う。
楽しかったけど、当然だんだん難しくなるので、いつ挫折してもおかしくない状態(^^;;; 英語を習うような気持ちで、手話を習っているのは、あまりいいことではないのだろうか??? 聾の世界の話を少しづつ聞いていくと、なんとなく違和感を感じてくる。 昔は、手話の理解も低く、手話を習う=手話通訳のように、ある程度の義務を背負っていたのかも知れない。最近は、テレビなどでも放送機会が増え、他の習い事と同じように、ただ興味を持って始める人も増えてきていると思うのだか、聾の人々は、そんな安易な考えで手話を習って欲しくないと思う人もいるらしい。??? 始めるときに、手話通訳や講師を目指すつもりですか?と聞かれたけれど、そんなことは全く考えていなかったので、えっ??と、考え込んでしまった。 手話通訳は、やるつもりは全くなかった。なぜなら、通訳というモノは、まず、日本語を知っていなければならない。私は通訳に足る日本語を持ち合わせていない。 講師?って、何?どんなコトするの?わからないので、保留(笑) いずれにしても、趣味の範囲の手話学習。しかも、今のところ楽しい。それだけではいけないのだろうか?? 細く長く続けたいけれど、聾者との接点がない私は、使う機会もそんなにないので、実践してみるわけでもないし、かといって、実践したいと思うわけでもない。 どこかで出会ったとき、な~んと、手話できますよ。お話分かり合えますね。なんて、ステキじゃない? その手話が、聾の人にとって、もちろん不完全なモノであっても、その時手話で会話が出来たというのは、喜びよりも、帰って不満を抱くモノなのだろうか? 聾の閉鎖的な社会が一部残っているようで、みんながそうでないことは重々察するのだが、そんな話は、あまり聞きたくないなぁ、今のところ・・・と思ってしまう。 |
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